親愛なる従順な聖徒の皆さま!
この季節において忍耐を持ちながら過ごしておられるすべての方々に、私は感謝の意を表わしたいと思います。
ヤコブ1:2〜3は、このように教えています。「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです」。
私たちが人生で通る多くの事柄の中で、私たちはどのようにすれば神に信頼し続けることができるのか、またどのようにすれば忍耐を持つ人になることができるのかを学ばなければなりません。神は私たちに、良い時も悪い時を通っても、神を愛し 従って欲しいと願っておられます。試練は、私たちが信じているものや、私たちが人生に対して信じているものを試し得ます。
詩篇115:13は、このように言っています。「主は…主を恐れる者を祝福してくださる。小さなものも、大いなる者も」。
ヤコブ1:17は、このように書いています。「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません」。
2コリント9:8は、このように言っています。「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です」。
神はご自分の民を祝福したいと願っておられます。「あらゆる恵み」は、私たちに臨み得ます。神は私たちを癒し、神は聖霊の臨在を含む良いものを私たちに与えたいと願っておられるのです。
そこで問題は、「神はどのようにして私たちに、これらの良いものを与えるのでしょう?」、になりましょう。多くの人々は、神がお望みになる時に、神は私たちに良いものを与えると教えられています。しかし聖書は、私たちは神の祝福を選ばなければならないと教えています。
申命記30:19〜20は私たちに、いかにしてこれらの祝福を受け取ることができるのかを教えています:
1.神は私たちの前に いのちと死、祝福と のろいを置かれました(申命記30:19)。
- これらは、私たちの前にあります。未来は、私たちの前にあるのです。
2.私たちがいのちを選ぶ時、私たちと私たちの子供たちは神の祝福を受け取るようになります(申命記30:19)。
- このことが起こるのは、「神」ではなく、「私たちが」選ぶ時に起こります。多くの人々は神を待ち望んでいますが、私たちがみことばと御声に従い始めるにしたがって、私たちは自分と自分の子供たちのために祝福を選ぶのです。
3.神の祝福を受け取るためには、私たちは神を愛さなければなりません(申命記30:20)。
4.神の祝福を受け取るためには、私たちは神の御声に聞き従わなければなりません(申命記30:20)。
- 多くの人々は おそらく聖さのうちに歩んでいるかも知れませんが、多くの人々は神に聞くことによって、神に愛を示してはいません。愛はコミュニケーションをするのが大好きなのです。
- 神は私たちに、単に規則に従って欲しいと願っておられません。神は私たちに、ご自身の御声に従って欲しいと願っておられるのです。
5.神の祝福を受け取るためには、私たちは主に すがらなければなりません(申命記30:20)。
- 「すがる」という言葉はヘブル語の原語で「dabaq」で、「追い求めることによって捕らえること to catch by pursuit」を意味します。これは「猛烈に・激しく つき従っていくこと to follow hard」を意味します。
- 神は私たちに、ご自分を捕らえて欲しいと願っておられます! 神は隠れん坊をされるのが大好きなのです。私たちが神を求める時、神は私たちの想像を超えて 私たちを祝福してくださるのです。
6.主の祝福は、私たちに長い齢を与えます(申命記30:20)。
7.主の祝福は私たちに、祝福と豊かさの地に住むようにさせます。アブラハムの祝福は、従順によって私たちのものとなります。
実践的ステップ:
- 神とその聖さを愛することを学ぶ。
- 神の声をどのようにして聞くかを毎日学ぶ。私たちが神に聞き、今日従うなら、明日は変わり始めていきます。日々の従順なのです。
- 神の臨在を捕らえることを学ぶ。どのようにしてでしょうか? 心を尽くして神を求めることによってです。神の臨在は、捜すのがとっても簡単なのです。
- 良いもので神が皆さんを祝福すると期待することを学ぶ。皆さんが神を愛し、毎日 神に従っているからです。
- 皆さんが知っている知識をもって、日々神に従うことを選ぶ。意図して他の人々を愛し、また聖さのうちに歩むことは、天の窓を開きます。
天を見上げることによって日々歩みましょう!
使徒 ゲヤス・ローレンス