親愛なる 御国の聖徒の皆様!
私たちは今、イッヤルの月におり、また刈り入れの祭りであるペンテコステの祭りまでカウントダウンをしています!
この季節は、神の国の福音の教えをもって私たちの思いを刷新する季節です。イエスは神の国について、40日間教えられました。
私たちは、天が開くのを見るために、また神が私たちに与えたいと願っておられるものをすべて受け取るために、何をしないといけないかを知らなければなりません。
これはイッサカル族の月であり、その名前は「報酬」を意味しています(創30:18)。聖書は私たちに何回も、神の国には報酬制度があることを教えています(2歴代誌15:7)。
ヘブル11:6節はこのように言っています。
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」。
私たちが神を信じる時、行ないがそれに結びついていなければなりません。
以下が、私たちがするようにと聖書が教えている、2つの事柄です。
1.私たちは神がおられることを信じなければなりません。
神は死んでおられません!神が存在され、また私たちは神が存在しておられることを知っています。神はご自分を現わすために人間となられたからです!イエスはご自分の民をいまだに救い、癒し、解放し、また祝福しておられます。
2.私たちは、神を熱心に求めることによって報いの数々を受け取らなければなりません。
私たちの信仰は、豊かないのちを受け取るために、私たちに神を求めるようにさせます(ヨハネ10:10)。もし私たちが神を求めているなら、私たちの報いは私たちに来ます。神は生きておられますが、神は、私たちの物理的な目には隠れておいでです。しかし、私たちは神が私たちとともにおられることを知っています。聖書は、神が私たちの行ないに応じて私たちに報いてくださることを明確にしています(ヘブル6:10、マタイ16:27、黙22:12、1コリント3:14)。私たちの信仰は、私たちの日々の行ないによって明らかにされます(ヤコブ2:17〜19)。
以下が、イッサカル族の預言的な祝福からの、8つの鍵となるポイントです(創49:14〜15、申33:18〜19)。
1.私たちはこの人生において働き人になるよう召されています。
「ろば」は、「仕事・働き」を指し示しています。
2.私たちは自分の仕事においてリラックスし、平安を持つことを学ばなければなりません。
私たちの日常の仕事は、人々を祝福するための、主からの私たちのミニストリーなのです。
3.私たちは自分の安息の場と、私たちの地を見つけなければなりません。
多くの人たちは、何かより良いものをいつも探し求めており、私たちの日常生活の中の祝福を見逃してしまいます。
4.私たちは、自分の日々の仕事を悪いものではなく、良いものとして見なければなりません。
親、夫、妻、またビジネス・パーソンとしての私たちの日々の仕事はみな、神への礼拝なのです。
5.ゼブルンとイッサカルはつながっています。
ゼブルンとは、「外に出て行くこと」を指し示しており、イッサカルとは「天幕に住むこと」を指し示しています。私たちが毎日、主のために働くために出て行くにしたがって、私たちは自分がリラックスでき、また神の臨在を見い出すことができる、自分の「天幕」も見つけなければなりません。
6.私たちは人々を、神の山に招かなければなりません。
「神の山」は、神の臨在が知られる場所であり、また神が私たちを教える場所です(イザヤ2:2〜3)。
7.私たちは、義のいけにえをささげることを学ばなければなりません。
私たちが日々、神の御前で正しく歩む時、それはあたかも神へのいけにえのようなものです。私たちは正しいことをしなければなりません!
8.私たちは、富と隠されている宝の数々を我がものとして主張しなければなりません。
私たちは日々、天に 宝の数々をたくわえています(マタイ6:20)。私たちは天が私たちのために用意している、すべてのものを受け取らなければなりません。
私はこの土曜、使徒的スクール東京に行って、「打ち勝つ信仰を持つための鍵の数々」について教えることを楽しみにしています。私は、 「信仰とは?」、また「信仰の7つのレベル」などといったトピックについて教える予定です。イエスは、私たちが信じる時、不可能なことは何もないとおっしゃいました。
聖書はまた、私たちの信仰は成長するとも言っています。みなさんは、どのような信仰を自分が持っているかご存じでしょうか?この月は、私たちが神の栄光と力に、どのようにつながるかを知らなければならない月なのです!
すべては王イエスのために!
使徒 ゲヤス・ローレンス